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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)5926号 判決 1976年10月28日

原告 矢代庚一

右訴訟代理人弁護士 木村敏雄

被告 大王産業株式会社

右代表者代表取締役 篠原善次郎

右訴訟代理人弁護士 泥谷伸彦

主文

被告は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の土地及び同(二)記載の建物について所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決。

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決。

≪以下事実省略≫

理由

一  本件土地、建物がもとミヨシの所有であったが、同女が昭和四七年五月二七日死亡したことは当事者間に争いがない。ところで、≪証拠省略≫によれば、ミヨシがその生前の昭和四七年一月一日に、ミヨシが被告に本件土地、建物を贈与する旨記載した自筆証書方式による遺言書を作成したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  そこで、被告主張の抗弁について検討する。

(一)  抗弁(一)について

1  ≪証拠省略≫によれば、明治薬科学株式会社(代表取締役は宏)は、昭和四六年頃多額の負債を背負って倒産寸前の状態にあったところ、近々中に訴外商工中央金庫から融資を受け得る見込があったので、それ迄の一時しのぎの経営資金にあてるため同年四月頃訴外馬場義孝から金二〇〇〇万円を借受けたこと、明治薬科学株式会社は右馬場に対し右借受金の譲渡担保として本件土地の所有権を移転することとなり、当時同社に勤務していた矢代正一(ミヨシの妹婿)が、同じく同社に勤務していた繁に対し、すぐ右借金を返すのでそれまで本件土地を担保にしたいからミヨシの印章、その印鑑証明書、本件土地の登記済権利証等を持ってくるよう依頼したこと、繁は、当時二四才位で明治薬科大学を卒業して薬剤師の資格を取得して性格は比較的きつくしっかりしておったこと、一方ミヨシは右当時心臓病を患って入院しておって入院前には本件建物に繁と同居しておったが、ミヨシの印章は銀行に預けてあったので、繁は、右矢代正一のすぐ借金を返すという言を信用して、ミヨシにこれらの事情を話せば病気が悪化してよくないと考えてミヨシに無断で、右担保に供することを承諾してミヨシの印章を銀行から借出して、右矢代正一に対し右印章と依頼された右各書類とを引渡したところ、これらを利用して、本件土地につき昭和四六年四月二一日馬場義孝への所有権移転登記が経由されたこと、ところが、その後予定していた商工中央金庫からの融資が受けられなくなり、明治薬科学株式会社は、右馬場に対し右借受金が支払えなかったので、被告からこの支払資金にあてるため借金することになり、昭和四六年六月頃被告に対し右借金の譲渡担保として本件土地、建物の所有権を移転することになったこと、そこで、矢代正一の方で書類を整えて、同年六月二二日ミヨシのために本件建物の所有権保存登記をなし、繁に対し右借金を早急に返済するので心配ないからと言いくるめて、ミヨシに無断で、被告のために担保に供することを承諾させてミヨシの印章とその印鑑証明書とを持って来させて、馬場義孝の前記所有権移転登記の抹消登記をなした上で、繁の持って来た印章等を利用して、昭和四六年六月二二日本件土地、建物について被告のために所有権移転登記を経たこと、その後訴外八島海運株式会社が被告に肩替って明治薬科学株式会社に融資することになったので、本件土地、建物について、同年六月二九日、被告のなした右所有権移転登記の抹消登記をなした上で、八島海運株式会社のため所有権移転登記がなされたが、この際も、矢代正一が、繁に前同様の事情から心配ないからと言いくるめて、ミヨシに無断でミヨシの印章やその印鑑証明書を持って来させてこれらを利用して右所有権移転登記がなされたこと、矢代正一は、それ迄繁に対しては、本件土地建物を担保に供すると伝えたのみで所有権移転登記をすることは伝えていなかったが、八島海運株式会社へ右所有権移転登記をしたのちまもなくして右登記をなしたことを説明したこと、ところが、八島海運株式会社の経営陣と宏との折合いが悪かったため八島海運株式会社が資金的に被告を援助することを中止することになったので、昭和四六年一〇月頃明治薬科学株式会社は経営資金に窮して、被告と、本件土地、建物を被告に代金三〇〇〇万円で売却する話しがまとまったので、矢代正一やこの話しの仲介斡旋にあたっていた訴外漆田から繁に対し昭和四七年一月一〇日までに金を返済して買戻すから心配いらないと言いくるめて、右売却の話しを伝え、ミヨシの印章と印鑑証明証を持って来させて、本件土地、建物について被告のために所有権移転登記をすることを承諾させて、登記申請のための委任状(乙第一二号証の三)に、矢代ミヨシの氏名と住所を書かせて、右名下にミヨシの実印を押印させて(その他は被告の方で補充)、これを使用して、昭和四六年一〇月八日本件土地、建物について請求の原因(三)記載の所有権移転登記がなされたこと、そして同年同月一一日被告会社において、矢代正一、宏らの立合の下で、繁は、矢代正一や宏から明治薬科学株式会社が本件土地、建物を昭和四七年一月一一日迄に買戻しするので心配いらないと言われたので、ミヨシが被告に本件土地、建物を代金三〇〇〇万円で売ることを承諾して、その旨の売買契約の約定を記載した売買契約書(乙第一号証の一、二)の横文字で売主矢代ミヨシと記載してある横にミヨシの印章を押捺して右矢代ミヨシの氏名の文字の下に矢代繁と自署したこと、その際、被告の方で、繁に右売買契約書の内容を逐一読み聞かせてその納得を得たこと、また被告は、被告が宏又はミヨシに対し本件土地建物を代金三一八〇万円とこれに登記料取得税等の経費を加算した金員で昭和四七年一月一〇日を期限として売渡す旨記載した書面(甲第三号証)を繁に差入れたこと、宏、繁及び被告との間で右売買代金三〇〇〇万円のうち二三五〇万円については、被告が明治薬科学株式会社にそれ迄貸付けていた貸金の支払いにあてる話し合いがつき、右売買契約書が作成された当日右代金の内金五〇万円が被告から矢代正一に渡されたが繁は右代金をミヨシが受取ったものと認めてみずから矢代ミヨシ代理矢代繁と自署した被告あての金五〇万円の領収証(乙第三号証)を被告に交付したこと、そして、同年同月一二日被告から繁に対し右代金の残金六〇〇万円が交付されたので、明治薬科学株式会社代表取締役矢代宏、矢代ミヨシ、矢代繁の三名連記の被告あての金二九五〇万円の領収証(乙第四号証)に、繁は、右矢代ミヨシ、矢代繁と記名して各押印の上右領収証を被告に差入れたこと、前記売買契約書が作成された際、繁は、被告に対し、即刻本件土地建物を明渡すことを約束したが、本件建物内に荷物があるため、右明渡しを三日間猶予をするよう要求して右猶予期間内に必ず明渡すことを誓約し、同年一〇月一二日、右の誓約文言を記載した上で、矢代ミヨシと代理矢代繁とそれぞれ記載してその各名下に押印した念書(乙第二号証)を被告あて差入れ、その後、一時、本件建物から退去して他所で寝泊していたことがそれぞれ認められ、右認定の事実によれば、繁は、ミヨシを代理して、昭和四六年一〇月八日本件土地、建物について被告のために請求の原因(三)記載の所有権移転登記がなされることを承諾し、ついで、同年同月一一日被告との間で、ミヨシが被告に本件土地、建物を代金三〇〇〇万円で売る旨の売買契約を締結したものと認めるを相当とする。

2  証人矢代繁(一、二回)は、繁は、請求の原因(三)記載の本件土地、建物の所有権移転登記がなされたことについては全く関知しておらず、また前記売買契約書(乙第一号証の一、二)に前記のとおり押印したのは、ミヨシを代理して右契約書記載の売買契約を締結する趣旨のもとになしたものではなく、正一や宏らから、右売買契約書にミヨシの押印をして、一時本件建物から退去しておれば、明治薬科学株式会社が被告やその他の融資先から多額の融資を受けることができ、また右融資を受けた金は早急に右訴外会社において返済する旨言われたので、これを信用してただ右訴外会社に右融資を受けさせる便宜のためになしたものであるなど右1の認定に反する供述をしているが、前記1に認定のとおり、繁は右当時二〇才代の年若い女性であったとは言え、大学を卒業して薬剤師の資格を得、比較的性格がきつくしっかりした人物であるから、明らかに売買契約の約定文言が記載されておる上にその内容を読み聞かせてもらった前記売買契約書(乙第一号証の一、二)にただその意味もわからず他人(叔父の宏ら)に言われるまゝ押印する筈がないものと考えられること、証人矢代繁の右供述するところによれば、明治薬科学株式会社が他から融資を受ける手段として、叔父達に懇請されて繁が前記売買契約書(乙第一号証の一、二)に押印したものであるというものであるからこれを前提にすれば、被告から金を受取るのは右訴外会社しかないのに、前記1に認定のとおり繁も被告から六〇〇万円の金員を受取っているので、そのことにつき合理的な説明が右供述するところによればつかないこと、その上、前記1に認定のとおり、繁は被告に対し本件建物から退去することを誓約してこれを記載した念書(乙第二号証)を差入れ、早速本件建物を退去しているものであるから、繁の右行動は、右供述するところと矛盾すること、その他前記に掲記の他の証拠に照らして、証人矢代繁(一、二回)の右供述部分はたやすく措信できず、他に右1の認定を覆すに足りる証拠はない。

3  ところで、被告は、前記1に認定のとおり繁がミヨシを代理して昭和四六年一〇月一一日被告との間で本件土地、建物の売買契約を締結した当時、繁はミヨシから右売買契約締結の代理権を授与されていた旨主張するので、この点につき按ずるに、証人小宮春光は、繁は、右売買契約を締結してから、一、二日経過したのちの日に、宏や矢代正一と同道して被告会社に来訪し、被告に対しミヨシから右売買契約締結の承諾を得てきたと報告した旨供述しているが、右証人小宮の右供述部分は≪証拠省略≫に照らし措信できず、他にミヨシが繁に右代理権を授与していた点を認めるに足りる証拠はない。即ち、乙第一号証の一、二(前記売買契約書)、同第二号証(前記念書)、同第四号証(前記領収証)にはいずれもミヨシの実印による印影が顕出されており、また右乙第二号証及び同第三号証(前記領収証)にはいずれも矢代ミヨシ代理矢代繁なる記載がなされているところ、前記1に認定のとおり右印影の顕出及び右記載はいずれも繁がなしたものであるが、繁が右押印や右記載をなすにつきミヨシの承諾を得たことを認めるに足りる証拠はなく、≪証拠省略≫によれば、却って、ミヨシは昭和四六年五月頃から心臓病を患って入院していたところ、しばしば呼吸困難になる発作をおこし、酸素吸入器で酸素を補給しなければならない程の重篤な病状にあったので、繁は、ミヨシに対し明治薬科学株式会社の負債のために本件土地建物を売却処分して住む家を失うことになるなどということを説明したらミヨシの病状が一層悪化してそれこそそのことが原因でミヨシがショックを受けて場合によっては死亡するかも知れないと憂慮して母のミヨシには右売却処分のことは極力秘し、叔父の宏達のすぐ買戻しできるので心配いらないという言を信用して、ミヨシの承諾を得ずに、ミヨシが預け入れていた銀行からミヨシの実印を貰い受けてミヨシに無断でこれを使用して前記各書証に押印したものであることが認められるし、他に繁がミヨシから前記代理権を授与されたことを認めるに足りる証拠はない。

4  なお、被告は、宏もミヨシを代理して昭和四六年一〇月一一日被告との間で本件土地、建物の売買契約を締結した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、却って前記1に認定の経過より考察すれば、被告主張の売買契約は、繁のみがミヨシを代理して締結したものであって宏はミヨシを代理して締結していないものと認めるを相当とする。

5  そうだとすれば、繁のみがミヨシを代理して昭和四六年一〇月一一日被告との間で被告主張の売買契約を締結しているが繁がミヨシから右売買契約締結の代理権を授与されていたことは認められないので、被告の抗弁(一)の主張はじ余の点につき判断を加えるまでもなく採用できない。

(二)  抗弁(二)について

1  繁がミヨシを代理して昭和四六年一〇月一一日被告との間で被告主張の売買契約を締結したが、右当時ミヨシから右契約締結の代理権を授与されていなかったこと、また宏がミヨシを代理して右同日被告との間で右同契約を締結したことが認められないことは前記(一)において判示のとおりである。

2  そうするとまず、宏がミヨシを代理して被告との間でその主張の売買契約を締結したことを前提とする抗弁(二)の主張は採用できない。

3  次に、被告は、繁はミヨシから本件土地、建物を管理し、これに担保権を設定する基本代理権を授与されていた旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。即ち、本件土地、建物については、請求の原因(三)記載の被告のために所有権移転登記がなされる前に、馬場義孝、被告、及び八島海運株式会社のためにそれぞれ担保の趣旨で所有権移転登記が経由されているところ(但し、右馬場については本件土地についてのみ)、これらは繁が矢代正一に懇請されてミヨシの実印を持出して右矢代正一とともにミヨシ名義の登記申請の委任状を作成してなしたものであることは前記(一)の1において認定のとおりであるが、繁が右の行為をなすことについてミヨシの承諾を得た事実を認めるに足りる証拠はなく、却って、前記(一)の1において判示したところによれば、繁は、心臓病を患っている母のミヨシに心配をかけまいと配慮してミヨシに秘して、叔父の宏らの一時担保に供する旨の言を信用して、ミヨシに無断で同女の実印を持出したところ、矢代正一が繁に明確に説明せず右実印を利用して登記申請委任状を補充記載して右各所有権移転登記をなしたものであるから、繁の関与のもとに右各所有権移転登記がなされていることをもって、ミヨシが繁に本件土地建物について担保権を設定する代理権を授与していたことを認めるに由ない。他にミヨシが繁に対し本件土地建物を管理し、又はこれに担保権を設定する基本代理権を授与していたことを認めるに足りる証拠はない。

4  そうすると繁がミヨシから右基本代理権を授与されていたことを前提とする抗弁(二)の主張は、じ余の点につき判断を加えるまでもなく採用できない。

(三)  抗弁(三)について

繁がミヨシを代理して昭和四六年一〇月一一日被告との間で本件土地、建物について被告主張の売買契約を締結したが、右当時繁がミヨシから右売買契約締結の代理権を授与されていなかったことは前記(一)の1において判示のとおりである。そして、ミヨシが右売買契約締結後の昭和四七年五月二七日死亡し、繁がミヨシの唯一の相続人であることは当事者間に争いがない。ところで、一般に、無権代理人が本人を相続し本人と代理人との資格が同一人に帰するにいたった場合においては、本人自ら法律行為をしたと同様な法律上の地位を生じたものと解される。しかしながら、本人がその生前に右法律行為の目的財産を他に譲渡する法律行為をなし右目的物が相続人の承継すべき相続財産に属しない場合においては、本人の死亡により本人自ら法律行為をしたと同様な法律上の地位は生じ得ないものと解するを相当とする。思うに、右目的物が相続人の承継すべき相続財産に属しなくなった以上その限度において本人と代理人との資格が同一人に帰したとはいえず、右目的物を他に譲渡等の処分をなした本人たる故人の意思は尊重されるべきであるし、このような場合において無権代理人が右行為が依然として無権代理として無効なることを主張してもけっして信義則にもとるともいえないからである。そこで、右の見地に立脚して本件を見るに、前記一に判示のとおり、本人たるミヨシは自筆証書方式に基づく遺言書により原告に本件土地、建物を贈与したものであるから、ミヨシの昭和四七年五月二七日の死亡と同時に右贈与の効力は発生し、右遺贈により本件土地、建物の所有権は原告に移転し、相続人の承継すべき相続財産に属しなくなったものであるから、このような場合においては、無権代理人の繁が被告との間でなした前記売買契約は、繁が本人たるミヨシの唯一の相続人であることによってミヨシの死亡と同時に当然に有効になるのではないといわなければならない。

そうだとすれば、繁のなした前記無権代理行為(被告との間の前記売買契約)が本人たるミヨシの死亡と同時に当然に有効になることを前提とする被告の抗弁(三)の主張は、じ余の点につき判断を加えるまでもなく採用できない。

三  以上判示したところによれば、原告は昭和四七年五月二七日前記遺贈により本件土地、建物の所有権を取得し、じ来これを有するところ、被告が本件土地、建物につきなしている請求の原因(三)記載の所有権移転登記は何らの実体関係を有しなく無効であるから、被告は、本件土地、建物の所有者である原告に対し右登記の抹消登記に代るものとして、真正なる登記名義の回復を原因として、所有権移転登記手続をなす義務があるものといわなければならない。

四  よって、原告の請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山﨑末記)

<以下省略>

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